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あと一歩が踏み出せない人、もう一歩前に踏み出したい人へ ―日本語学習アドバイジングのご案内―

text: 角田麻美

日本語を勉強していて、勉強の進め方が分からなくなったり教材を教えてほしいと思ったりした経験はありませんか。専門家に相談したいと思っても、聞くのが恥ずかしいとかちょっと怖い・・・と感じて、なかなか一歩目を踏み出せないという人がいるかもしれません。

このコラムでは、OUマルチリンガルプラザの日本語学習アドバイザーの方に聞いたお話をみなさんに紹介します。

はじめに

大阪大学(以下「阪大」)には、日本語学習の進め方や教材について相談できる言語(日本語)学習アドバイジングの時間が設けられています。言語学習アドバイジングは、「学習者が言葉の学び方を学ぶのを助けること*1」を目的に行われています。定義や理論的な説明については、「言語学習アドバイジングとは?」で詳しく紹介されているので、興味のある方はぜひご覧ください。

Q&A *2

どんな方が相談に来られますか?

日本語レベルは初級から上級までいろいろです。阪大に所属し、日本語の学習を必要とする学部生、大学院生、研究生、研究員すべての方が対象です。

どんな相談がありますか?

阪大では英語メインで過ごしていて、でも日常生活で日本語が必要だというとき、例えば病院の受付で話す初級の日本語から学び始めたいとか、あるいは上級レベルの方でも初めて日本語で論文を書くためどう書けばいいか悩んでしまうとか、プレゼンテーションするときの発音に自信がないとか、その他にも、日本語で話せる友達がほしい、やるべきことがたくさんあってそのスケジュールをどう組んでいいか分からないなど、多種多様な相談があります。

論文を書く相談というのは、書き方の指導をされるんですか?

アドバイジング・セッションでは直接書き方を教えるわけではないんです。「まずアウトラインを書いて肉付けをしていく」「自分が言いたいことが文章化できているか書いたあとに読み直す」「他の人に読んでもらって分かりにくい部分を指摘してもらう」のように方法を紹介して、こういうことをしてみてはどうですかと提案をするんです。具体的な添削が必要であれば、日本語チュータリングを利用することもできます。

発音に関する相談でも具体的な指導はされないということですか?

そうですね、まずは相談者の話を聞いて、「発音がおかしかったときに指摘してほしいとまわりの人に頼む」「シャドーイングをしてみる」などいくつかお伝えし、相談者が日常の中で解決できる方法がないか一緒に探ります。そして次のアドバイジング・セッションでそれが効果的だったかどうかを確認し、大きな効果が感じられなかった場合は別の方法を試してもらう、というように進めていきます。音声についてのコラムを紹介することもあります。会話練習に参加してもらうというのも選択肢の一つです。

日本語で話せる友達がほしいという相談にはどのように対応されるんですか?

交流イベントがあるので、そちらに参加されると輪が広がると思います。また、地域のボランティア教室など、学内だけでなく学外でも日本語を練習する機会や場所があるので、その情報を紹介しています。(学内情報はこちら)。

具体的な相談が多いんでしょうか。

そうでない人もいます。「今どんな状態ですか?」「絶対にやらなければいけないことはありますか?」「やりたくはないけれどやらなければいけないと思っていることは何ですか?」「それは期限がありますか?」のように問いかけをして、相談者の話の内容から、優先的にやるべきことがあるのか、なりたい理想の自分はどんな姿なのか、ということを少しずつ整理していきます。そうすることで、相談者自身が自分の中にある答えに自分で気付けるようになっていきます。

おわりに

今回のインタビューを通して、「アドバイジング・セッションではあなたの気持ちを整理して、あなたの中にある答えを一緒に探していきますよ」という心強いメッセージをいただくことができました。日本語学習がうまくいかなくなって困ったときや、話を聞いてほしいけれどどうしようかなと迷ったときは、日本語学習アドバイジングで相談してみてはいかがでしょうか。

参考文献

  1. 青木直子(2010)「【第38回】学習者オートノミー、自己主導型学習、日本語ポートフォリオ、アドバイジング、セルフ・アクセス」国際交流基金<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/tsushin/reserch/201003.html>(2022年2月2日最終アクセス)
  2. このインタビューは2021年12月24日に行いました。最新情報についてのお問い合わせはこちらまで。

角田麻美

社会人院生。仕事も学問も家事も育児も学びに終わりはないのだと日々痛感しています。