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日本語でより良いコミュニケーションを:想像力と文化

text: Fanantenana Rianasoa Andriariniaina

この文章は、私の個人的な日本語学習の経験に基づいたものです。他の言語に当てはまる議論もあるかもしれませんが、私が学んだ日本語を実践したときに直面した問題や課題、それをどのように克服したか、そしてどのような教訓が得られたかを主に紹介したいと思います。

日本語との出会い

私が母国で最初に日本語を学んだときは、独学でした。教材もあまり多くはありませんでした。2005年に友人から借りた「日本語初歩」という古い教科書と、非常に限られたインターネットの情報によって、基本的な文法と語彙を学び始めました。

第1課の最初の一文、「わたしは日本人です。」を今でも覚えています。その本は文法やドリルが中心で、私が生きている現実とはかけ離れていました。しかし、まじめな学生だった私は、何の疑問も抱くことなく、どんどん勉強していきました。

この本をマスターしてからというもの、私はずいぶん長い間、流暢さよりも正確さ、そして文法だけを重視していました。いろいろな経験をして、私はそのような信念の欠点に気づきました。

日本語が話せない!?

日本語との出会いから2年後の2007年、私は日本の建設会社で通訳として働くことになりました。日本語が話せる人は珍しいということで、私の経験が非常に少ないにもかかわらず採用してくれました。

仕事の内容を覚えたり、文法を完璧にしたりする時間はありました。しかし、初めて口を開いた途端、自分の言ったことが意味不明であることに驚きました。自分は日本語が得意だと思っていました。一年前には初心者対象のスピーチコンテストで入賞したこともありますし、文法に関する議論もある程度のレベルまでは得意だと思っていました。しかし、日本語を話すということは、私が想像していたものとは違っていました。

この出来事があってから、私は自分を疑うようになり、3、4日は気分が良くありませんでした。

想像力の重要性

そんな時、私の母語に堪能な日本人の同僚が来て、どうやって日本語を話しているのか聞いてきました。そして彼は「イメージですよ。イメージです。」と言ったのです。私は想像力がないと言うことでしょうか?彼の言う通り、私は言葉のことばかり考えていて、何についての話をしているのか、全体像がつかめていなかったのです。

私は長い間、言葉とはまずインプット、そしてアウトプットのことだと思っていて、想像力の重要性を理解していませんでした。他の言語で読んだ本を日本語で読み直すことが、とても助けになりました。

例えば、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリの『Le petit prince』(日本語のタイトルは『星の王子さま』)は、何百もの言語に翻訳されていて、人生の様々な側面について語っています。また、信仰をお持ちの方や、いろいろな宗教の聖典を読んでみたいと思っている方には、日常的な言葉(口語)の日本語訳がついている宗教書もあります。特にもともとどんな話かを知っていると、分かりやすいと思います。

もう一つ、私が興味を持ったジャンルは漫画でした。島に住んでいると、新しい本を手に入れる機会が少ないのですが、手塚治虫の『ブラックジャック』や『火の鳥』など、古典的な日本のマンガを読むことができました。そうした本のいくつかにはふりがながついていて、とても便利でした。

想像力の限界と文化の理解

楽しむための読書はこのような想像力を養うのに役立ちますが、それには限界があることを、自分の国で働いているとき、さらに日本でも、現実の状況で知ることになりました。

ある日、日本人の友人と私は、とても重要な人たちにピクニックに招待されました。夏の暑い日に車に乗せてもらい、私の国の習慣として、会話を促すために私は天気の話をしました。私が「暑いですね」と口にした途端、友人に怒られました。その日何が起こったのか、何年も経ってから同じような状況になるまで、私には分かりませんでした。

その後、初めて日本を訪れた時、友人たちと大阪の典型的な日本食レストランに行きました。料理について聞かれると、そのうちの一人が、自分の知っている簡単な日本語の文法を使って何かを伝えたいと思い、「おいしくない」と言ったのです。私の文化では、誰かを傷つけたくないときは「まずい」ではなく「おいしくない」と言えば、何の問題もありません。しかしこの状況では、外国人のお客さんがあまり来ないお店だからこそ、心を込めて料理を作っているお店の人を傷つけてしまうのではないかと、本当に不安になりました。

こうした経験の後、私は、車の持ち主が親切に誘ってくれた後に「暑いですね」と言ったら、相手は傷ついたに違いないと気がつきました。私は不平を言うつもりではなかったですし、友人が「おいしくなかった」と言ったときも、彼が何か不満を持っていたわけではありません。とはいえ、常に相手の立場に立つことを常識として教えられてきた人は、相手が何かポジティブなことを言ってくれることを期待するのが普通だと思います。

言葉には意味がありますが、さらに重要なのはメッセージを伝えることです。文法や語彙を知っていること、想像力を持つことは大切です。しかし、日本語を学ぶには、言葉の隠された意味を理解する必要があるので、その背後にある文化を理解することはとても重要です。文化を適切に理解していないと、正しい文法と語彙を使い、意味を想像しても、間違ったメッセージを伝えてしまい、コミュニケーションを台無しにしてしまうかもしれません。

Fanantenana Rianasoa Andriariniaina

マダガスカル出身。大阪大学人間科学研究科博士後期課程2年。「本業」は教育の研究ですが、物を作るのが大好きです。研究していない時は料理やDIYを楽しんでいます。物作りと同じように、社会や言語のメカニズムを理解してみることも大好きです。最近、いろいろなプログラミング言語にはまっています。